Food

Mar 2016
Interview 01

暮らしのそばで食を営む(1/2)

神戸だと、自分の立っている場所を見失わないでいられるんです。

左からBEYOND COFFEE ROASTERSコーヒー焙煎所オーナー・木村大輔さん/ブラッスリーラルドワーズ シェフ・柘植淳平さん/マルメロ&ネイバーフード フードコーディネーター・安藤美保さん/ジェロボアム ワインショップオーナー・安藤博文さん

神戸が海と山に囲まれた街であることは言うまでもなく、中央区には、その狭間の中心部に多くの人々が集う繁華街が存在する。海の方へ少し歩みを進めると、港町として繁栄を築いた神戸ならではのレトロな建物や下町情緒漂う店構えがちらほらと現れる。そこは、長く大切に愛されてきたものの風合いが街に溶け込み、どこか懐かしい空気を感じさせてくれるエリアだ。

中心部からほんの少し外れたその場所で、シェフ、ワインショップオーナー、フードコーディネーター、コーヒー焙煎所を営む、4人の食にかかわる方々の働き方と暮らし方をご紹介します。

夫婦が神戸に店を構えた理由

— どのような経緯で今の仕事をはじめられたのですか?

安藤(博)

今、ワインのお店をやっているのですが、それもここ神戸に住み始めた30歳の時から。18歳まで大分で暮らし、ニューヨーク、東京といろいろ経て、30歳までに根をはらないと、という想いで神戸にやってきてちょうど18年になります。

それまでは飲食店で働くなど、サービスのなかの一つとしてワインを扱ってはいたのですが、本格的に勉強をしたのは5年近くニューヨークで暮らした時ですね。

— ワインを学ぶためにニューヨークへ?

安藤(博)

大学を出て、普通に会社で働いて何ができるだろうって、よくわからなくなった時期に、何か理由をつけて飛び出そう、そうだ、お酒を極めよう、と。所持金10万円位でアメリカに飛びました。最初の頃は、中国人経営の日本食レストランやカラオケパブ、引っ越しセンターなどで働かせてもらって。お金もないですし、英語も全然できなかったですから、学びながら必死でした。

そうこうしている時に、ニューヨークのフードコートにある小さな空き物件をプロデュースしてみないかって紹介されました。学生の頃にバーの仕事をしていたこともあって、日本の茶の作法なんかを取り入れて、ちびちびカクテルを飲む静かなバーができたらどうか、と思って挑戦してみたんです。当時、ニューヨークではありえなかったのですが、店の前にルールを箇条書きにした張り紙を貼って、異様な空気でカクテルを飲む。

それが新鮮だったみたいで繁盛したんです。僕が帰国した後も、僕の教えた若い子たちが頑張って盛り上げてくれていて、その「Angel’s Share」という店は今もその場所にあるんです。7年くらい前に、妻と久しぶりに遊びにいってきました。店の雰囲気は随分変わってしまっていましたけど、懐かしかった。

— どうして神戸で根をはることに?

安藤(博)

30歳までにと決めていたので、帰国してからどこにしようか、東京かなって、ちょっとうろうろしていたんです。神戸は、大学の時に1年だけ住んでいたことがあり、街のサイズ感が自分に合っていた記憶があった。久しぶりに神戸に戻ってきて、たまたま出会えたワインショップに入った瞬間、ここだ!と思えたんです。すぐにオーナーに「雇ってください」と。それが、神戸でワインの小売業に携わることになったきっかけですね。

— 奥様の美保さんはなぜ神戸でフードコーディネーターに?

安藤(美)

私は生まれが大阪ですが、大阪の流れの中では迷子になってしまうような気がするんです。神戸は山と海があって、迷子になりにくい。地形的な話だけではなく、自分の生きている立ち位置が見えてくる、というか。

バブル全盛期にOLになって、とっとと嫁にいけばいいやくらいの気持ちで何も考えずに就職したんですけど、そのうち手に職をつけたいなと思うようになりました。一人っ子で母が専業主婦で、子どもの時から手作りのお菓子。そんな家だったので、自分も作るのが好きで、自然と食べ物のほうへ。今は、街と田舎を食でつなぐことができたらいいなと思って活動しています。神戸は都心から車で30分ほど行けば農地があって、農家さんとの距離が近いですから、それがやりやすい。

今、私は主人の店の近所で、農家さんと一緒にFARMERS MARKETなど、いろいろな食のイベントを開催するスペースを運営しています。あとは、主人の店の向かいにお店を作って、農家さんの食材で作る加工品などのグロサリー(食品雑貨)を販売しています。

神戸を開業の地に選んだシェフ

— 柘植シェフはどうして神戸でフランス料理店を?

柘植

実はもともと東京の料亭で修行を積んでいたんですが、ヨーロッパがすごく好きで、旅行でフランスに行った時に、なんかビシっときたんです。それからずっとフランス料理をしていますね。

僕、東京生まれなんですけど、父の仕事で日本中を転々としていて、神戸も2〜3年住んでいたことがあって。自分で店をしたいっていう時に、当時住んでいた東京っていう選択肢もありましたが、生活しながら自分をコントロールしていくのがすごく大変だった。得るものもすごくあったんですけど。神戸は自分のスピードと周囲の流れがマッチするというか、住んでいて気持ちがいいんです。

あと、妻の実家が神戸から車で1時間くらいの加西市にあって、遠からずで。農業をやっているので、休みの日はそこで野菜をつくったりしています。そうこうあって、神戸に店をだして、歩いて3分くらいの場所に暮らして、もう10年になりますね。

焙煎所を神戸に持つまで

— 木村さんは、ずっとコーヒー焙煎所を作りたかったのですか?

木村

大学の頃からコーヒーが好きで、自分で飲み歩いたりバイトしたりしていたら、かなりはまって。よし、仕事もコーヒーにしようと、まずはコーヒー生豆の買付から焙煎加工、飲食店までやっている会社に就職したんです。でも、なんだかしっくりこず、1年半くらいで辞めてしまいました。その頃、新しいコーヒー文化の潮流がロサンゼルスやサンフランシスコで生まれているという話を聞きました。後から振り返ればそれが今で言う“サードウェーブ”(注)の出だしだったわけですが、当時はただ自分の直感ひとつで、貯金をすべて引き出して、それを握りしめてアメリカへ飛んだんです。

(注)サードウェーブ・・・・・・シアトル系コーヒーショップが深煎のコーヒー豆を主に、カフェラテなどのエスプレッソドリンクを主体として大流行したのをセカンドウェーブとして、対照的に比較的小さな店舗が自ら農園と契約して厳選した豆を使用し、コーヒーが本来持つ甘さや酸味を楽しむために浅煎に仕上げたコーヒーを様々な抽出方法で提案するムーブメント。

そして、どうやらその文化の中心にいるのがロサンゼルスのマイケルという人だという噂を聞きつけ、連絡先を探し当てメールで連絡してみたら、なんとこの誰かも分からない僕に会ってくれることに。教えられた住所に行ってみたら、ロサンゼルスのダウンタウンの治安の悪そうな倉庫街。そこで彼はハンサムコーヒーという店の開業準備をしていました。バタバタの時期のはずなのに、僕を助手席に乗せて仲間のコーヒーショップを案内してくれたり、一緒にテイスティングしてくれたりと、ものすごく良くしてくれたんです。さらに彼の紹介で他都市のコーヒーロースターにもお邪魔することができて。たくさん刺激をもらい、まさしく人生を変えた旅になりました。

帰国して、コーヒーを生業にして自分の店を持つぞと決意したのですが、お金がない。場所に関しては、大学から神戸に住んでいたので土地勘があったし、同世代のコーヒーロースターがいなかったことなどから神戸に可能性は感じていました。しかし、無一文でしたからね。まずは稼がないと、というので見つけたのが、未経験OK!海外出張満載!の文言が書かれた、某大手電機メーカーの品質管理の仕事でした。

— コーヒーとどんな関連が?

木村

退社までの約1年半で、パスポートを増刷するくらい日本にほとんどいなかった。入社翌週にいきなり中国出張。出張先は基本的に海の端にある町で、例えばイギリスだとロンドンから電車とバスを乗り継いで5時間の田舎町とか、エジプトのスエズ運河沿いとか。過酷な滞在先もありましたけど、休日に現地のコーヒーを飲み歩くのも目的のひとつとして、結果的にそれぞれの地域性があることを体験できたのがとても良かったです。コーヒー先進国のデンマークにも滞在できたり、アメリカ出張の合間にマイケルと再会したりと、いい勉強期間になりました。そうこうするうちに、開業資金もぼちぼち貯まっていきました。