Artists

Mar 2016
Interview01

「余地」に新しい可能性を見出す(1/2)

創造意欲をかき立てられるダウンタウン。

ユメノマド ミカミマユミさん、庭のジプシー 橋口陽平さん、ヒロセガイさん、Joshua Richleyさん

新開地や長田区といった地域は、かつて戦前においては神戸の経済を支えた中心であり活気に満ちていたが、時代の変化と共に中心街は三宮周辺へと移り、また20年前の震災で受けたダメージも大きかった。しかし、今この地域には、若い世代が少しずつ集まり新しい動きを見せ始めている。世界的に見ても、新しいカルチャーは必ずこうした「余地」を持った地域から生まれている。

新開地に新しい風を吹かせるゲストハウス

— まずミカミさんは新開地で「HOSTELユメノマド」「HOSTELなかむら」という、2軒のゲストハウスを運営されているわけですが、なぜ新開地で宿を始めようと思ったのですか。

ミカミ

私、道路を1本隔てたところが実家で、この街で生まれ育ったんです。今、ゲストハウスをしているこの場所は、当時は旅館だったのですが、同時に棟続きでおばあちゃんの家でもありました。

我が家は、毎月17日になると必ず、この場所に親族で集まるのが決まりでした。その日はおじいちゃんの命日なのです。うちは父が4人兄弟で、またそれぞれの家族に3人ずつ子どもがいたのでいつも賑やかでしたね。またその日に限らずよく家族が集まる家でした。

— どうしてゲストハウスをすることになったわけですか。 

ミカミ

おばあちゃんが亡くなってから父が物件を引き継いで管理だけしていたのですが、維持が大変なので手放さないといけなくなるかもしれない、という話を親がしていました。それを聞いたときに、「残さなあかん」という気持ちが強烈に芽生えてきました。

そしてこの建物の歴史と新開地という地域性を合わせて考えたときに、ゲストハウスというキーワードが浮かび上がってきました。それで父にこの物件を自分に使わせて欲しいと頼みました。

— ゲストハウスを始める前に、海外に行かれていたと聞きました。

ミカミ

ここをいろんな国の人が集うゲストハウスにしようと決めてから、当時勤めていた会社を辞め、半年間、ニューヨークのハーレム(注)に行きました。ちょっとでも英語に触れて、なおかつその土地に住んで肌で感じておきたかった。 注…ハーレム:ニューヨーク市マンハッタン区の北部に位置する地域

— ゲストハウスをどういう場所にしたいと思っていますか。例えば、「ユメノマド」には看板にホステル/ギャラリー/カフェと書いてあります。

ミカミ

もちろんここは宿ではありますが、同時に泊まらなくても人々が立ち寄れる場所にしたかったのでカフェやギャラリーを併設しました。宿泊客もそれ以外の人も、他所から来た人も地元の人も、いろんな人やいろんなことが行き交う場所。そんなイメージです。

鉄工所の2階に広がるシェアハウス

— 橋口さんは長田区にある「NAGANAGA」というシェアハウスに住みながら、庭師として活動をされています。「NAGANAGA」とはどんな場所なんですか?

橋口

鉄工所の2階がシェアハウスになっているんです。稼働中の鉄工所なので、平日はクレーンの音が聞こえたり、少し揺れたりするんですけど(笑)

僕らが今いる場所は、昔は鉄工所の独身寮として従業員さんたちが住んでいた。でも近年は使われず長く空いていてオーナーさんがどうにかしたいと。一般的にはあまり人が住みたがらない場所かもしれませんが、でも逆にそういうところに可能性を感じた若者たちが、自分たちで手を入れて住んでいます。

何かを創り出そうという人たちがひとまず落ち着ける場所を持って、そこから自分が本当にしたい活動に精を出していく。そういう拠点なんです。

— 今は、橋口さん以外にどういう人が住んでいるのですか?

橋口

大学で助手の仕事をしながら絵を描いている女性、フリーランスのダンサー、看護師さん。 「ユメノマド」のスタッフさんも住んでいますよ(笑)

場所の意味を読み変える

— ヒロセガイさんと助手のジョシュさんは、元薬局だったビルの1階をオーナーさんから借りられて、そこでいつも“何か”をつくっていらっしゃいますね?

ヒロセ

僕は、現代美術家として主に彫刻をつくっているんですけど、人から依頼されて空間をカフェにしたり、セットのようなものをつくったりもしています。だから内装屋さんちゃうか、と思っている方も多いかもしれません。

今僕らがいる場所は、物件のオーナーさんから、震災後からずっと空いてしまっているがどう手をつけたらいいか分からない、けれども何とかしたいと言われて。この場所好きにしてええ、時間掛かってもええから「違う何か」にしてくれないかと相談されたんです。

いつの間にか、以前とはちょっと違う場所にできたらいいと思っています。じゃあ今ここが何の場所なのかと聞かれるとうまく言えないですけど(笑)。アーティストと言われる人は、まずその場所がもともと持っていた性格をゼロに戻すぐらいのことを考えないといけない。そうじゃないと、新しいものが生まれてこない。だから今はそのための過程だと思っています。

— それまでとは少し違う場所、とは例えばどういうことですか?

ヒロセ

たとえばこの場所の前に見慣れない黄色いフォルクスワーゲンがいつも停まっている、ということもある種の違和感かもしれません。僕はいつも作業用の工具を黄色いビートルに乗せて運んでくるのです。また一緒に作業しているアメリカ人のジョシュという友人がいるのですが、語呂がいいので、「助手のジョシュです」と紹介しています。実際には彼は彼で自分の仕事をしているので、助手ではありませんが(笑)。でもいつの間にかジョシュが何者なのかと、ひそかに周囲で話題に上ったりしている。「いったいこの人たち何だろう」「ここで何をしているんだろう」という違和感を、さりげなく忍び込ませたいという気持ちがありますね。

— ジョシュさん、ご出身は?

ジョシュ

生まれたのはアメリカ・ミシガン州のフリント市。デトロイト市からそんなに遠くない。10年前にミシガンから日本に移ってきました。

ヒロセ

ジョシュはもともとカメラマンです。でも彼は工具のことや、建物や家具の修理の仕方や、屋根の直し方や植木の処理でも、何でもよく知っている。アメリカの人って、彼に限らずDIYが当たり前で、よく知っているんですね。だからいつの間にか、一緒に仕事をするようになって、ここでは僕の制作の手伝いをしてもらう傍ら、彼は自分で家具をつくったりしています。

ジョシュ

私の祖父も昔この辺りに暮らしていたみたいなんですよ。私が日本に来て初めてした仕事は、新開地の湊川駅近くにある小学校の英語教師でした。そしてアメリカに里帰りしたときに祖父にその話をしたら、彼も今から65年前に神戸のその辺りに住んでいたと。5、6年居たようです。私は大阪や尼崎などにも住みましたが、今再び新開地に移ってきて、祖父がかつて暮らしたのと同じ土地にいるということに不思議な縁を感じていますよ。